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航空母艦赤城-昭和16年12月真珠湾攻撃時

タム・タム名誉相談役の製作した航空母艦赤城-昭和16年12月真珠湾攻撃時を、TamTam相模原店にて展示しております。
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「航空母艦赤城」とは

航空母艦赤城
赤城は、八八艦隊(戦艦8隻・巡洋戦艦8隻の整備計画)のうち天城型巡洋戦艦の2番艦として起工された。だが建造中にワシントン海軍軍縮条約が締結され、巡洋戦艦ではなく航空母艦として完成した。アメリカ海軍のレキシントン級巡洋戦艦も天城型巡洋戦艦と同様の事情および経緯を経て空母へ改造され、レキシントン級航空母艦レキシントンとサラトガが就役している。だが日本海軍の場合、天城型1番艦の天城は関東大震災で損傷して廃艦となり、天城の代艦として加賀型戦艦1番艦加賀の空母改造が決定した。完成直後の赤城と加賀は多段式空母として複数の甲板を備えていたが、航空機の性能発展に対応できず、のちにレキシントン級と同様の一段全通甲板へ改造された。赤城と加賀は日本海軍の主力空母として運用され、太平洋戦争初期の重要な海戦に参加(真珠湾攻撃、セイロン沖海戦等)。赤城には第一航空艦隊司令長官南雲忠一中将が座乗しており、南雲機動部隊の旗艦として活躍した。開戦から約半年後に生起したミッドウェー海戦で赤城はアメリカ軍急降下爆撃機SBDドーントレス(空母エンタープライズ所属機)の攻撃を受けて炎上。艦内の弾薬が誘爆して航行不能となり、4隻の味方駆逐艦(嵐、野分、萩風、舞風)によって雷撃処分された。
なお1930年代後半にドイツへ赤城の技術と設計図が譲渡され、交換として大和型戦艦建造用の工作機械が導入された。
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